2019-10-22

『Dear Esther』を日本語訳してみる:その4

text key="whitelines"

誰かが死んだ時か、
もしくは、

死にゆく過程の際か、
それとも、

彼らが捧げられる
どんな小さな希望も諦めてしまうような、
重い病に侵されていた時、

彼らはその崖に平行線を刻んだ。

すぐ下の白い石灰を露出させながら。

それらは本島や漁船から見る事ができ、

支援を送るのか、
防衛のための非常線を張るのか、
もしくは、

崖の小道を侵食したあらゆる疫病が
その宿主と共に死ぬまでの
一世代を待つのか、

それらに対する判断が出来た。

私の引いた線は、
ただこれを目的とする。

つまり、
どんな救助志願者も寄せ付けない。

この感染は単純に身体的なものではない。
When someone had died or was dying or was so ill they gave up what little hope they could sacrifice, they cut parallel lines into the cliff, exposing the white chalk beneath.

You could see them from the mainland or the fishing boats and know to send aid or impose a cordon of protection, and wait a generation until whatever pestilence stalked the cliff paths died along with its hosts.

My lines are just for this: to keep any would-be rescuers at bay.

The infection is not simply of the flesh.

text key="valleytopa"

彼らは敬虔な羊飼いだった。

その関係において愛欲は無かった。

ドネリーによると、
彼らは一冊の聖書を持っており、
それを厳密な順番で回覧していた。

それは、
1776年に訪れた修道士に盗まれた。
この島が完全に放棄される2年前の事だ。

その間、彼らは
章や節を石や草に割り当てたのだろうか?
多層の意味を地理に記載するように。

つまり、

彼らは実際に聖書を歩き、
その矛盾に住まう事が出来ていた。
They were godfearing people those shepherds.

There was no love in the relationship.

Donnelly tells me that they had one bible that was passed around in strict rotation.

It was stolen by a visiting monk in 1776, two years before the island was abandoned altogether.

In the interim, I wonder, did they assign chapter and verse to the stones and grasses, marking the geography with a superimposed significance; that they could actually walk the bible and inhabit its contradictions?

text key="valleytopb"

君と私の私達は
ロトの妻のようではないし、

だから、
引き返す必要も全く感じない。

たとえ、そうしたとしても、
見るべきものは何もない。

あの崖を自らの腕で割くような、
くたびれた老人なんて居ないし、

供え物として砂の上に置かれた、
献上品や聖書なんてものも無い。

渦を巻く潮流も、
頭上で喚くカモメも居ない。

供え物のために
陰修士の骨はもう置かれていない。

なぜなら、
私がそれら骨をこの島の腹の中へ、
こっそりと盗んだからだ。

そこでは、
通路が全て黒に染まり、

骨からの奇妙な発光が
お互いの顔を照らす。
We are not like Lot’s wife, you and I; we feel no particular need to turn back.

There’s nothing to be seen if we did.

No tired old man parting the cliffs with his arms; no gifts or bibles laid out on the sand for the taking.

No tides turning or the shrieking gulls overhead.

The bones of the hermit are no longer laid out for the taking: I have stolen them away to the guts of this island where the passages all run to black and there we can light each others faces by their strange luminescence.

text key="valleytopc"

直接的な引用をすると…、

「推奨できるものが殆どない
雑然とした土地。

彼らと共に
三日間を過ごしたところだが、

それは、
彼らの社会で生まれていない誰にとっても、
それだけで
もう十分に感じるほどだった。

やたらと彼らは
聖書からの引用をしたがるのだが、

私には、周辺諸島の住人の中で
彼らがもっとも
見放されているようにみえる。

実際、この場合、

- 神に見放された -

という言葉の引力はまさに
その真頂点を見つけるようだ。」

この引用は私に示唆している。
ドネリーもまた、見つけていた、と。

この海の間際で
償いのどんな機会からも
漂流するように彷徨う人々を。

彼は自分自身を
その中に含めていたのだろうか?
そんな風に私は思う。
I quote directly: “A motley lot with little to recommend them.

I have now spent three days in their company that is, I fear, enough for any man not born amongst them.

Despite their tedious inclination to quote scripture, they seem to me the most godforsaken of all the inhabitants of the outer isles.

Indeed, in this case, the very gravity of that term – forsaken by god – seems to find its very apex.”

It appears to me that Donnelly too found those who wander this shoreline to be adrift from any chance of redemption.

Did he include himself in that, I wonder?




     

2019-10-21

『Dear Esther』を日本語訳してみる:その3

text key="cliffpatha"

薄暗い午後の日差しの中、
ドネリーを読む。

彼は島の南側に上陸し、
入り江を辿り、
そして、山を登った。

彼はあの洞窟を見つけられず、
また、北側の様子にも曖昧だった。

この島に対する彼の理解が
不完全で不備なのは、
そのためだと思う。

彼はその山に立ち、
束の間、下山について考えただけ。

だから、
彼と私とでは理由が違う。
Reading Donnelly by the weak afternoon sunlight.

He landed on the south side of the island, followed the path to the bay and climbed the mount.

He did not find the caves and he did not chart the north side.

I think this is why his understanding of the island is flawed, incomplete.

He stood on the mount and only wondered momentarily how to descend.

But then, he didn’t have my reasons.

text key="cliffpathb"

ドネリーの本はその図書館から
1974年以来、持ち出されていなかった。

私は誰も気にする事はないだろうと思い、

自分のコートの下にそれを滑り込ませ、
司書の視線を避けながら、
外に出た。

主題が曖昧だと
作者の言葉遣いは尚更そうで、

この本は確固とした
信頼できる書き手の文章ではない。

この最後数日間の唯一の連れが、
忘れられた作家の書いた盗本である事に、

なんとなく相応しさを感じている
Donnelly’s book had not been taken out from the library since 1974.

I decided it would never be missed as I slipped it under my coat and avoided the librarian’s gaze on the way out.

If the subject matter is obscure, the writer’s literary style is even more so, it is not the text of a stable or trustworthy reporter.

Perhaps it is fitting that my only companion in these last days should be a stolen book written by a dying man.

text key="cliffpathc"

この景色の中でもあの山は
明らかに目立っていた。

あまりにも良き配置なので、
ほぼ人工的に見える。

ここの全てには
意図的な理由や目的がある、
なんて…、

気づくといつのまにか
そんな妄想へ陥っている。

この島はあの衝突の瞬間に
形作られたのだろうか。
つまり、

停泊とシートベルトから
私たちがバラバラに引き裂かれた時、

高速道路の車線が
私たちの胸と肩を割いた時、

だから、
それは最初に地表を割いたのか?
The mount is clearly the focal point of this landscape; it almost appears so well placed as to be artificial.

I find myself easily slipping into the delusional state of ascribing purpose, deliberate motive to everything here.

Was this island formed during the moment of impact; when we were torn loose from our moorings and the seatbelts cut motorway lanes into our chests and shoulders, did it first break surface then?

text key="cliffpathd"

素晴らしい眺めだ。

月が見える。

崖の小道とストーンサークルが
丁度重なる位置に。

それは浜辺に峰の影を落としている。

世界の全てはまるで

君が砂の上に自分の名前を
デタラメに描いたみたいだ。
A wonderful sight.

The moon cresting the junction between the cliff path and the stone circle.

It cast a shadow of the ridge across the beach, all the world as if you had signed your name across the sand in untidy handwriting.




     

2019-10-20

『Dear Esther』を日本語訳してみる:番外編
~CCSで二段組み~

順番に訳していっているものをそのままペタペタとベタ張りしていけば良いのかも知れないけれど、訳したものと原文を見比べる事を考えれば、左右に並べて記載したいな、と思った。

ここのブログは編集画面を切り替えて、HTMLを直接記述することも出来るので、テーブルタグを使うのかな、と調べてみると、今じゃCSSなるものを使う模様。幸いここもCSSの編集や追加が出来たので、四苦八苦の末に、以下のようなフォーマットで続けていけそうな感じにまできた。

ちょっと追記:
仕方ないのだけど、スマホ向けのモバイル用テーマだと、この苦労があまり反映されない…。見にくいとまではならないし、そこまでの労力をかける部分ではないのだけど、ほんのり残念。




text key="eventa"

日本語へに訳すときに
改行を多用するので、
原文に比べると縦長になる。
I am not good at English.

text key="eventb"

だから、それに対して、
本来必要ないかも知れないけど、
仕方なしに組み込んでいる設定もある。
I say again,
I am not good at English.




中身はこんな感じ。
<h3 class="cl_esther">
    text key ="eventa"
</h3>

<div class="ja_esther">
    日本語へに訳すときに<br>
    改行を多用するので、<br>
    原文に比べると縦長になる。
</div>

<div class="en_esther">
    I am not good at English.
</div>
CSSへの追加分.
.ja_esther {
    border-radius: 5px;
    padding:  10px 5px 20px 5px;
    margin: 5px 0px 50px 0px;
    background-color: #fafafa;
    color: ;
    width: 48%;
    float: left;
}

.en_esther {
    border-radius: 5px;
    padding: 10px 5px 20px 5px;
    margin: 5px 0px 50px 0px;
    background-color: #fafafa;
    color: ;
    float: right;
    width: 47%;
}

.cl_esther {
    clear: both;
}
「.cl_ether」というので、とりあえず誤魔化している。これを引用部分の後にちょろっと書いておかないと、レイアウトが上手く収まらない。図表的なものや、その後の文章が思い通りのところに収まらないのは、本当に厄介。かつてTexでも同じような感じに悩んでいたなぁ、と、遠い目にもなった。フロートの本来的な思想とか、考え方を知らないので、どうしてこんなメンドクサイ仕様にしたんだ、とかなり久方ぶりだけど、常々思う。

これでようやく気持ちいいレイアウトでコピペが出来そうだけど、WYSIWYGとHTMLべた書きを平行利用しないといけない感じなので、それも手順をちゃんと押さえておかないと、かなり面倒なことも分かった。実際、少し痛い目をみた。

このエントリーでもソースコードのベタ張りが上手く出来ず、かなり時間を取られた。「pre」タグって「<」と「&gt」は特殊コード「&lt;」、「&gt;」を使わないといけないのね…。

本来、やりたい事はゲームなのに、なかなかそれに届かない。



           

2019-10-19

『Dear Esther』を日本語訳してみる:その2

text key="firstclimb"

ドネリーはある陰修士の言い伝えについて
教えてくれた。

彼は根源的な孤独を求める聖職者だったそうだ。

嘘か真か、
彼は底の抜けた舟で
本土からここにやってきたらしい。

なので、海の全ての生き物達は
彼と会話するため、夜、浜に上がってきたそうだ。

そんなざわめきに
彼はさぞ辟易しただろう。

おそらく今の海なら、
タンカーから破棄されるゴミしか無いだろうから、
彼も落ち着けただろうに。

言い伝えでは、
南側にある谷で彼が自らの両手を大きく広げると、
崖が開き、

彼が116年後、
熱病で死ぬまでの住処が現れたという。

羊飼い達たちは洞窟の入口に
彼への贈り物を残したが、

ドネリーによれば、一方で、
羊飼い達は決して彼を見たとは言わなかったそうだ。

私もその洞窟を訪ね、
贈り物を残したことがあるが、

彼らのときと同じように、
彼の求める孤独にとっては不要に思えた。

Donnelly reported the legend of the hermit; a holy man who sought solitude in its most pure form.

Allegedly, he rowed here from the mainland in a boat without a bottom, so all the creatures of the sea could rise at night to converse with him.

How disappointed he must have been with their chatter. Perhaps now, when all that haunts the ocean is the rubbish dumped from the tankers, he’d find more peace.

They say he threw his arms wide in a valley on the south side and the cliff opened up to provide him shelter; they say he died of fever one hundred and sixteen years later.

The shepherds left gifts for him at the mouth of the cave, but Donnelly records they never claimed to have seen him.

I have visited the cave and I have left my gifts, but like them, I appear to be an unworthy subject of his solitude.

text key="firstbeacha

夜になると時折、光を見ることがある。
通過するタンカーやトロール船からの光たちだ。

あの崖からのありふれた眺めも、
崖下のここからなら、

おぼろげに奏でられる
フーガ/遁走曲のようだ。

つまり、
波の上の光なのか、波の下の光なのか
私にはすぐには見分けられない。

そんな区別なんて陳腐に思える。
なぜ「全て」ではないのだ。

ここでは人生と言う名の編み物が解けるまでの間、
矛盾に耽る以外にないのだ。

At night you can see the lights sometimes from a passing tanker or trawler.

From up on the cliffs they are mundane, but down here they fugue into ambiguity.

For instance, I cannot readily tell if they belong above or below the waves.

The distinction now seems banal; why not everything and all at once!

There’s nothing better to do here than indulge in contradictions, whilst waiting for the fabric of life to unravel.

text key="firstbeachb

ここにはかつて、
大衆からの怒りや不寛容にも関わらず、
風力発電所の建設話があった。

彼らは言った、
海は非常に荒れていて、
タービンを建てる事は出来ない、と。

しかし、そんな人々は明らかに
ここには来たことがないのだろう。
気持ちを落ち着かせるためには。

個人的に、私なら建設を支持していただろう。
タービンは陰修士にとって相応しい、
現代の隠れ家になっていただろうから。

つまり、回転/地殻変動と、永続性だ。

There was once talk of a wind farm out here, away from the rage and the intolerance of the masses.

The sea, they said, is too rough for the turbines to stand: they clearly never came here to experience the becalming for themselves.

Personally, I would have supported it; turbines would be a fitting contemporary refuge for a hermit: the revolution and the permanence.

text key="firstbeachc"

君が生まれた時、
静けさが分娩室に降りてきたと、
君の母親から聞いた。

大きな赤い母斑が
君の顔の左側を覆っていたらしい。

誰もが何を言えば良いか分からない中、
君はその虚空を満たすように泣いたそうだ。

君には本当に恐れ入る。
君は虚空を見つけるたびに、
それを満たすように泣き出すんだから。

私は君がその才能を発揮できるように、
あえて虚空を作るようになっていた。

君が6歳になる頃には母斑は殆ど消えて、
そして、私達が出合うまでには完全に無くなっていた。

だけど、
空虚への君の傾倒とその対応は相変わらずだ。
When you were born, you mother told me, a hush fell over the delivery room.

A great red birthmark covered the left side of your face.

No one knew what to say, so you cried to fill the vacuum.

I always admired you for that; that you cried to fill whatever vacuum you found.

I began to manufacture vacuums, just to enable you to deploy your talent.

The birthmark faded by the time you were six, and had gone completely by the time we met, but your fascination with the empty, and its cure, remained.

text key="firstbeachd"

別の時代、眠れる巨人、
終焉な夢を見ながら彷徨する神々。

あの遠くに見える島々は、きっと、
そんなものの史跡に過ぎない。

私は唇から砂を洗い落とし、
自分の手首をより強く握る。

震える私の腕は
色あせた自分の日記すら支えられないだろう。
Those islands in the distance, I am sure, are nothing more than relics of another time, sleeping giants, somnambulist gods laid down for a final dreaming.

I wash the sand from my lips and grip my wrist ever more tightly, my shaking arms will not support my fading diaries.

2019-10-17

『Dear Esther』を日本語訳してみる:その1

text key="jettya"

親愛なるエスターへ。

私は時々感じるのだ。


まるで私がこの島を

生み出したかのような感覚を。

世界の何処か遠くで裂け目が生まれ、
そして、それがここに流れ着いた。

とは言え、
どんなに考えてみても、
奇妙な点が湧き上がってくる。

全ての仮設を否定する。
こんな事は初めてだ。

絶望に満たされる中、
新しい思考に多少なりとも

近づけるよう、

私はここに戻るたび、
新たな記録を残すことにしている。
Dear Esther.

I sometimes feel as if I’ve given birth to this island.

Somewhere, between the longitude and latitude a split opened up and it beached remotely here.

No matter how hard I correlate, 
it remains a singularity, an alpha point in my life that refuses all hypothesis. 

I return each time leaving fresh markers that I hope, 
in the full glare of my hopelessness, will have blossomed into fresh insight in the interim.

text key= "jettyb"

親愛なるエスターへ。

ここにカモメはもう降りてこない。

今年、その事に気づいたのだが、
この場所をどうやら避けているようだ。

おそらく、
漁場が枯渇したのだろうが、

ひょっとすると、
私のせいかも知れない。

ドネリーが初めてこの島に降り立った時、
彼はこのように書いている。

家畜は弱々しく、
また、それらの羊飼い達も
ヘブリディーズ諸島に入植した中で
最貧民であった、と。

それから300年が経ち、
彼らでさえ、もう居ない。

Dear Esther.

The gulls do not land here anymore; 
I’ve noticed that this year they seem to have shunned this place. 

Perhaps it’s the depletion of the fishing stock driving them away.

Perhaps it’s me.

When he first landed here, 
Donnelly wrote that the herds were sickly and their shepherds the lowest of the miserable classes that populate these Hebridean islands. 

Three hundred years later, 
even they have departed.

text key="jettyc"

親愛なるエスターへ。

どれぐらいの時間、
ここに居るのか、
もう何回訪問したのか、
もう分からなくなってしまった。

今となってはもう、
身近に感じてしまう各々の場所を

私は目の前に姿形が現れたかのように
思い浮かべられるほどになっている。

目を閉じていても、
足を踏み外し、
海に滑り落ちる恐怖を感じずに
これら岩壁の先まで行けるぐらいに。

むしろ、大切なのは、
落ちる時にこそ、
目はしっかりと見開く事だと
思っている。
Dear Esther.

I have lost track of how long I have been here, 
and how many visits I have made overall. 

Certainly, the landmarks are now so familiar to me that I have to remind myself to actually see the forms and shapes in front of me.

I could stumble blind across these rocks, 
the edges of these precipices, without fear of missing my step and plummeting down to sea. 

Besides, I have always considered that if one is to fall, 
it is critical to keep one’s eyes firmly open.

text key="jettyd"

親愛なるエスターへ。

私が岸に流れ着いた朝、

耳には潮が、口には砂が、そして、
足首には絶え間なく押し寄せる波。

まるで全てが先の難破を
仕向けたかのように感じた。

水、靴と服の中の砂利、
そんな事しかしか覚えていない。

何事にも、
無関心な生き物たちが泳ぐ場所に

引きずり込まれるかのようだった。
Dear Esther.

The morning after I was washed ashore, 
salt in my ears, sand in my mouth and the waves always at my ankles, I felt as though everything had conspired to this one last shipwreck.

I remembered nothing but water, stones in my belly and my shoes threatening to drag me under to where only the most listless of creatures swim.

『Dear Esther』を日本語訳してみる:その0

それに至るまで

PSストアのセールの時に、以前から気になっていた『Flowery』と合わせて、そんなに思い入れ無く、『Everybody’s Gone to The Rapture』を購入したら、これが思いの外、刺さる内容で、いたく気に入ってしまった。それで、同じ開発会社の作品であり、ウォーキングシミュレータの走りとも言われる『Dear Esther』にも興味を持った。これにはPS4版もあるようだが、海外のみの配信のようで、日本ではPC版を対象としないといけないみたい。ただ、スチームで配信されているものは日本語対応されておらず、見送りかな…、と思いつつ、「日本語」を追加して検索すると、有志の翻訳MOD的なものが見つかった。これで日本語で遊べるなと、スチームのセールを待った。

もともとそんなに高くないものだが、セールで250円ほど。日本語化をしようとしたところで、うん?となる。どうやら現状、入手出来る翻訳ファイルは、旧バージョンへ対応したもので、記載された手順では、現状の『Landmark edition』には使えなかった。だめなのか…、と、もう少し調べてみると、やはりそうだった。合わせて、少し前まではPlayism版というのが配信されていて、しかし、今はなぜか配信が停止されていることも分かった。

そんな中、というか、読み逃していただけの事だけど、Landmark Editionは字幕用のXMLファイルを直接編集すれば、簡単に日本語対応できることが分かった。ならば、旧版の日本語ファイルの内容をこのXMLファイルに書き込んじゃえば、いけるな、と。で、まずはガチャガチャと英語字幕を日本語に置き換えてみる。ゲームを起動すると、上手く日本語の字幕が表示されたのだけど、2つ不満があった。

一つは、字幕を読み切る前に自動的に消えてしまう事。字幕としてはそれなりに長い文章が、ゲーム中、一画面で表示される。改行なんかの文章成形はないので、読みにくく、また、文章の内容自体も分かりにくい。なもんで、読んでいる途中、最後まで読み切る前に消えてしまう。

この改行問題に関しては、XMLファイル内で改行コードが上手く反映されればうまくいくんじゃないかと考え、エスケープシーケンスとか調べて(\nではダメだったけど…)、いろいろやって、結果、単純にXMLファイルをテキストエディタで開いて、その中で改行すれば、ゲーム画面にも反映され、加えて、ウィンドウ内に表示出来ないほど縦長になった場合も、文章がいい感じに自動スクロールしてくれる事が確認できた。これで一つ目の不満点は解消されそうだ。

二つ目の不満点は、というか、これが本丸なのだけど、日本語の内容が非常に分かりずらい事。『Everybody's…』の場合も、論理的/順序だったセリフや構成ではなく、分かりずらさは持っていた。けれど、それは雰囲気を作るための詩的/抒情的な表現であり、情景が具体的に頭に作れないまでも、(吹替えだからなおさら)雰囲気は非常に強く伝わってきた。今回のゲームの場合、そういう分かりずらさ以前の日本語の問題に思えた。よくある翻訳調の文章というやつに感じられたので、原文はどんな感じになっているんだろうと、興味本位で覗いてみたところ、意味を反対にとっているような明らかな誤訳がいくつか目に入ってきた。

もともとの英文自体が意味を取りずらい難しい文章らしいので、仕方ないのかもしれないけれど、こうなってくると、せっかく置き換えて作った字幕ファイルもゲーム体験に対して、意味を持たなくなる。

だから、だけど

この時点で、ゲーム自体は殆ど進めておらず、字幕の表示確認ぐらいだった。たかが250円、されど250円。折角だから、自分の納得いく字幕でゲームやってみようかと、日本語への置き換えを始めてみた。

いでよ、グーグル翻訳、いでよ、英辞郎、と、辞書引き引きな日本人の典型的なスタイルで、チクチクと置き換え中。前述しているように、なるほど、これは分かりずらい。文意をくみ取ることが上手く出来ないし、そして、本来の英文の雰囲気を残したまま、日本語にするのも骨が折れる。そもそも、この英語が使えない人間がよくもまあ、こんなことをやろうとしたものだ。自らネタバレしていることにもなるし。

でも、ま、旧版の翻訳よりも内容を深くを理解出来てきているし、自分なりに自己満足だけど、上手く日本語に置き換えられた時には、パズルを解いたような快感もあるし、とりあえず、1日数パラグラフのペースで進めている。

個人の楽しみとして、内々に留めておいても、というか、そもそも、そのつもりで始めたのだけど、折角だし、誰かの役に立つかも知れないし、間違いの指摘も貰えるかも知れないし。進めるためのモチベーションというか、外圧というか、逃避というか。まだまだ時間はかかりそうだけど、出来た分を小出しにしていこうかな、と考えている。

最終的には、XMLファイルにまとまっちゃうのだけど、それについては、どうするか判断保留中。とりあえず、英文の全スクリプトは公開されているし、それを翻訳している、っている体で。

はてさて、完走できるのか…。

2019/11/28追記
取り敢えず、完走はした。
まとめページ




         

2011-07-03

インタラクティブ3Dエフェクトライブを観てきた
#SonyGenki

水口哲也さんのツイートを見かけて、買い物のついでに観てこようと思い立つ。

国内初”参加型3Dライブ”開催 インタラクティブ3Dエフェクトライブ

水口さん自身がツイートされていたライブだけではなく、
夕方ぐらいまで、同じスペースで元気ロケッツの3DPVの映像上映もあるとの事。
以前にも六本木で3Dのライブがあって、気にはなりつつも残念ながら行けなかった。
で、今回、期待をして覗いてみた。

3DPVについて

20分構成の映像をループで流していて、時間的に最後のループに何とか間に合う。
会場は200インチの画面、表面光沢有り。
席数、ざっと100人ぐらい入れる程度か。
受付でステレオメガネを借りる。おそらく一番簡易な偏光ガラス方式かな。
お客さんは数人。ちょっと寂しい。

映像は、暗さをそんなに感じることなく、奥行きと飛び出しを感じる。
ん、想定範囲の3D 映像。綺麗であるが、おぉ!!という感じは無かった。

『アバター』を観たときにも感じたことだけど、やはり、映像の枠があると、
十分な立体感が感じられない。奥行き方向には、画面の向こうに空間があると感じられるのだけど、手前に飛び出す場合は、枠で映像が切れてしまい、不自然なぶつ切りになってしまう。

こういう不自然さがあると、没入感が削がれてしまう。
一番前で映像の枠がない状態でみるのが一番よいのかも。

ライブについて

ライブ開始まで少し買い物や食事をして時間をつぶす。
開場時間少し過ぎたぐらいに会場入り。
思っていた以上に人が入っている。最終的には立ち見もいた模様。
受付にて、今回はメガネとケミカルライトを借りる。
このライトを振って何かするらしい。

会場の様子が映像をして画面に映し出されている。
ケミカルライトを動かしてみよう、的なコメントと
ハッシュタグが画面に表示されている。
通常のカメラを使っているようで、少し暗い会場では、
ぼやけた人物像と目立つケミカルライトの映像。
ライトを振ると、映像にエフェクトがかかって表示される。輝度での判断かと思いきや、
会場に入ってきた人自体にもエフェクト掛かっている。他にも気づいた人がハンカチをバタバタしていたが、それにも反応していた、おそらくは映像変化の速度とか、オプティカルフローとか、そういう情報を使っていそう。
少し処理が重いのか、実際の動作と映像のエフェクトにタイムラグがある。

ライブ開始。
宇宙服の人が登場、中身は水口さんか、と思いつつ。
宇宙服の人会場を盛り上げに係る。
映像、会場の様子を映しだし、ケミカルライトの動きにエフェクトがつく。
宇宙服の人、DJブースへ移動。
女性ダンサー登場。映像、元気ロケッツのPVになる。
メイン画面の左右、タイミングを合せて、インタラクティブフェーズの表示。
会場の”動き”に合せてのイフェクト映像だけど、数がそこそこ多いののと、
タイムラグで、自分の動きと映像が一致できない。
途中、ダンサー中央に移動し、持っているライトで画面にエフェクトを表示させつつ、
ダンス。しかし、ここでもタイムラグ。ちょっと残念。エフェクト自体も少し地味か。
あと、ダンサーが中央に寄ることで、画面からの3D視覚情報と現物の視覚情報が重なる。
そうすると、新たな”枠”が出来てしまって、画面からの3D情報が不自然になってしまった。
ステレオ視を使ったライブはまだ少し考える余地がありそう。

途中、空を飛ぶシーンと共に前方から風。これは少し面白い。

常にインタラクティブに何か出来るというわけではなく、
インタラクティブモードへの切り替えがあって、
その切替をサブ画面でアナウンスしているのだけど、
この方法は、悪くはないけども、今は違うの?ってなると多少冷めるように思う。

音も少し割れていたか。総じて、少し残念な感想。

映像ベースのライブであれば、予算的にも差はあるだろうけども、恵比寿ガーデンプレイスでの池田亮司さんのライブの強度、初音ミク2010の存在感、にはちょっと及ばないかな。

3Dの映画やテレビが出ているけども、
単なる映像としてのみ多少残るかなという程度じゃないかと。
特に、ライブや舞台なんかへの適用は、上手くやらないと手間の割に逆効果になるような。

インタラクティブ性についても、今回は実験的な意味合いが多いのだろうけど、
インタラクティブに観客がどうライブに参加するのか、
単に映像に投影されるだけでなく、そういう所の詰めが今後必要なのかな。
あと、タイムラグはどうにかしないと、
ゲームでもレスポンスが悪いと、イライラしちゃうし。
それに一体感がなくなってしまう。

新しい映像技術を使うなら、ライブプロジェクションの方が、ライブや、そういう系統への導入は進むように思う。

お客はわがままだから、こんな感想を
担当者の苦労なんて知ったこっちゃない、って書いちゃうわけだけど。

でも、こういうチャレンジングな企画をどんどんやって、
良いところは伸ばしていって、改善すべきは直していく。
これぐらいの規模であれば、色々と試せるだろうし、
今後もこういう企画は期待。

今回も駄文をば、失礼。