2019-10-20

『Dear Esther』を日本語訳してみる:番外編
~CCSで二段組み~

順番に訳していっているものをそのままペタペタとベタ張りしていけば良いのかも知れないけれど、訳したものと原文を見比べる事を考えれば、左右に並べて記載したいな、と思った。

ここのブログは編集画面を切り替えて、HTMLを直接記述することも出来るので、テーブルタグを使うのかな、と調べてみると、今じゃCSSなるものを使う模様。幸いここもCSSの編集や追加が出来たので、四苦八苦の末に、以下のようなフォーマットで続けていけそうな感じにまできた。

ちょっと追記:
仕方ないのだけど、スマホ向けのモバイル用テーマだと、この苦労があまり反映されない…。見にくいとまではならないし、そこまでの労力をかける部分ではないのだけど、ほんのり残念。




text key="eventa"

日本語へに訳すときに
改行を多用するので、
原文に比べると縦長になる。
I am not good at English.

text key="eventb"

だから、それに対して、
本来必要ないかも知れないけど、
仕方なしに組み込んでいる設定もある。
I say again,
I am not good at English.




中身はこんな感じ。
<h3 class="cl_esther">
    text key ="eventa"
</h3>

<div class="ja_esther">
    日本語へに訳すときに<br>
    改行を多用するので、<br>
    原文に比べると縦長になる。
</div>

<div class="en_esther">
    I am not good at English.
</div>
CSSへの追加分.
.ja_esther {
    border-radius: 5px;
    padding:  10px 5px 20px 5px;
    margin: 5px 0px 50px 0px;
    background-color: #fafafa;
    color: ;
    width: 48%;
    float: left;
}

.en_esther {
    border-radius: 5px;
    padding: 10px 5px 20px 5px;
    margin: 5px 0px 50px 0px;
    background-color: #fafafa;
    color: ;
    float: right;
    width: 47%;
}

.cl_esther {
    clear: both;
}
「.cl_ether」というので、とりあえず誤魔化している。これを引用部分の後にちょろっと書いておかないと、レイアウトが上手く収まらない。図表的なものや、その後の文章が思い通りのところに収まらないのは、本当に厄介。かつてTexでも同じような感じに悩んでいたなぁ、と、遠い目にもなった。フロートの本来的な思想とか、考え方を知らないので、どうしてこんなメンドクサイ仕様にしたんだ、とかなり久方ぶりだけど、常々思う。

これでようやく気持ちいいレイアウトでコピペが出来そうだけど、WYSIWYGとHTMLべた書きを平行利用しないといけない感じなので、それも手順をちゃんと押さえておかないと、かなり面倒なことも分かった。実際、少し痛い目をみた。

このエントリーでもソースコードのベタ張りが上手く出来ず、かなり時間を取られた。「pre」タグって「<」と「&gt」は特殊コード「&lt;」、「&gt;」を使わないといけないのね…。

本来、やりたい事はゲームなのに、なかなかそれに届かない。



           

2019-10-19

『Dear Esther』を日本語訳してみる:その2

text key="firstclimb"

ドネリーはある陰修士の言い伝えについて
教えてくれた。

彼は根源的な孤独を求める聖職者だったそうだ。

嘘か真か、
彼は底の抜けた舟で
本土からここにやってきたらしい。

なので、海の全ての生き物達は
彼と会話するため、夜、浜に上がってきたそうだ。

そんなざわめきに
彼はさぞ辟易しただろう。

おそらく今の海なら、
タンカーから破棄されるゴミしか無いだろうから、
彼も落ち着けただろうに。

言い伝えでは、
南側にある谷で彼が自らの両手を大きく広げると、
崖が開き、

彼が116年後、
熱病で死ぬまでの住処が現れたという。

羊飼い達たちは洞窟の入口に
彼への贈り物を残したが、

ドネリーによれば、一方で、
羊飼い達は決して彼を見たとは言わなかったそうだ。

私もその洞窟を訪ね、
贈り物を残したことがあるが、

彼らのときと同じように、
彼の求める孤独にとっては不要に思えた。

Donnelly reported the legend of the hermit; a holy man who sought solitude in its most pure form.

Allegedly, he rowed here from the mainland in a boat without a bottom, so all the creatures of the sea could rise at night to converse with him.

How disappointed he must have been with their chatter. Perhaps now, when all that haunts the ocean is the rubbish dumped from the tankers, he’d find more peace.

They say he threw his arms wide in a valley on the south side and the cliff opened up to provide him shelter; they say he died of fever one hundred and sixteen years later.

The shepherds left gifts for him at the mouth of the cave, but Donnelly records they never claimed to have seen him.

I have visited the cave and I have left my gifts, but like them, I appear to be an unworthy subject of his solitude.

text key="firstbeacha

夜になると時折、光を見ることがある。
通過するタンカーやトロール船からの光たちだ。

あの崖からのありふれた眺めも、
崖下のここからなら、

おぼろげに奏でられる
フーガ/遁走曲のようだ。

つまり、
波の上の光なのか、波の下の光なのか
私にはすぐには見分けられない。

そんな区別なんて陳腐に思える。
なぜ「全て」ではないのだ。

ここでは人生と言う名の編み物が解けるまでの間、
矛盾に耽る以外にないのだ。

At night you can see the lights sometimes from a passing tanker or trawler.

From up on the cliffs they are mundane, but down here they fugue into ambiguity.

For instance, I cannot readily tell if they belong above or below the waves.

The distinction now seems banal; why not everything and all at once!

There’s nothing better to do here than indulge in contradictions, whilst waiting for the fabric of life to unravel.

text key="firstbeachb

ここにはかつて、
大衆からの怒りや不寛容にも関わらず、
風力発電所の建設話があった。

彼らは言った、
海は非常に荒れていて、
タービンを建てる事は出来ない、と。

しかし、そんな人々は明らかに
ここには来たことがないのだろう。
気持ちを落ち着かせるためには。

個人的に、私なら建設を支持していただろう。
タービンは陰修士にとって相応しい、
現代の隠れ家になっていただろうから。

つまり、回転/地殻変動と、永続性だ。

There was once talk of a wind farm out here, away from the rage and the intolerance of the masses.

The sea, they said, is too rough for the turbines to stand: they clearly never came here to experience the becalming for themselves.

Personally, I would have supported it; turbines would be a fitting contemporary refuge for a hermit: the revolution and the permanence.

text key="firstbeachc"

君が生まれた時、
静けさが分娩室に降りてきたと、
君の母親から聞いた。

大きな赤い母斑が
君の顔の左側を覆っていたらしい。

誰もが何を言えば良いか分からない中、
君はその虚空を満たすように泣いたそうだ。

君には本当に恐れ入る。
君は虚空を見つけるたびに、
それを満たすように泣き出すんだから。

私は君がその才能を発揮できるように、
あえて虚空を作るようになっていた。

君が6歳になる頃には母斑は殆ど消えて、
そして、私達が出合うまでには完全に無くなっていた。

だけど、
空虚への君の傾倒とその対応は相変わらずだ。
When you were born, you mother told me, a hush fell over the delivery room.

A great red birthmark covered the left side of your face.

No one knew what to say, so you cried to fill the vacuum.

I always admired you for that; that you cried to fill whatever vacuum you found.

I began to manufacture vacuums, just to enable you to deploy your talent.

The birthmark faded by the time you were six, and had gone completely by the time we met, but your fascination with the empty, and its cure, remained.

text key="firstbeachd"

別の時代、眠れる巨人、
終焉な夢を見ながら彷徨する神々。

あの遠くに見える島々は、きっと、
そんなものの史跡に過ぎない。

私は唇から砂を洗い落とし、
自分の手首をより強く握る。

震える私の腕は
色あせた自分の日記すら支えられないだろう。
Those islands in the distance, I am sure, are nothing more than relics of another time, sleeping giants, somnambulist gods laid down for a final dreaming.

I wash the sand from my lips and grip my wrist ever more tightly, my shaking arms will not support my fading diaries.

2019-10-17

『Dear Esther』を日本語訳してみる:その1

text key="jettya"

親愛なるエスターへ。

私は時々感じるのだ。


まるで私がこの島を

生み出したかのような感覚を。

世界の何処か遠くで裂け目が生まれ、
そして、それがここに流れ着いた。

とは言え、
どんなに考えてみても、
奇妙な点が湧き上がってくる。

全ての仮設を否定する。
こんな事は初めてだ。

絶望に満たされる中、
新しい思考に多少なりとも

近づけるよう、

私はここに戻るたび、
新たな記録を残すことにしている。
Dear Esther.

I sometimes feel as if I’ve given birth to this island.

Somewhere, between the longitude and latitude a split opened up and it beached remotely here.

No matter how hard I correlate, 
it remains a singularity, an alpha point in my life that refuses all hypothesis. 

I return each time leaving fresh markers that I hope, 
in the full glare of my hopelessness, will have blossomed into fresh insight in the interim.

text key= "jettyb"

親愛なるエスターへ。

ここにカモメはもう降りてこない。

今年、その事に気づいたのだが、
この場所をどうやら避けているようだ。

おそらく、
漁場が枯渇したのだろうが、

ひょっとすると、
私のせいかも知れない。

ドネリーが初めてこの島に降り立った時、
彼はこのように書いている。

家畜は弱々しく、
また、それらの羊飼い達も
ヘブリディーズ諸島に入植した中で
最貧民であった、と。

それから300年が経ち、
彼らでさえ、もう居ない。

Dear Esther.

The gulls do not land here anymore; 
I’ve noticed that this year they seem to have shunned this place. 

Perhaps it’s the depletion of the fishing stock driving them away.

Perhaps it’s me.

When he first landed here, 
Donnelly wrote that the herds were sickly and their shepherds the lowest of the miserable classes that populate these Hebridean islands. 

Three hundred years later, 
even they have departed.

text key="jettyc"

親愛なるエスターへ。

どれぐらいの時間、
ここに居るのか、
もう何回訪問したのか、
もう分からなくなってしまった。

今となってはもう、
身近に感じてしまう各々の場所を

私は目の前に姿形が現れたかのように
思い浮かべられるほどになっている。

目を閉じていても、
足を踏み外し、
海に滑り落ちる恐怖を感じずに
これら岩壁の先まで行けるぐらいに。

むしろ、大切なのは、
落ちる時にこそ、
目はしっかりと見開く事だと
思っている。
Dear Esther.

I have lost track of how long I have been here, 
and how many visits I have made overall. 

Certainly, the landmarks are now so familiar to me that I have to remind myself to actually see the forms and shapes in front of me.

I could stumble blind across these rocks, 
the edges of these precipices, without fear of missing my step and plummeting down to sea. 

Besides, I have always considered that if one is to fall, 
it is critical to keep one’s eyes firmly open.

text key="jettyd"

親愛なるエスターへ。

私が岸に流れ着いた朝、

耳には潮が、口には砂が、そして、
足首には絶え間なく押し寄せる波。

まるで全てが先の難破を
仕向けたかのように感じた。

水、靴と服の中の砂利、
そんな事しかしか覚えていない。

何事にも、
無関心な生き物たちが泳ぐ場所に

引きずり込まれるかのようだった。
Dear Esther.

The morning after I was washed ashore, 
salt in my ears, sand in my mouth and the waves always at my ankles, I felt as though everything had conspired to this one last shipwreck.

I remembered nothing but water, stones in my belly and my shoes threatening to drag me under to where only the most listless of creatures swim.

『Dear Esther』を日本語訳してみる:その0

それに至るまで

PSストアのセールの時に、以前から気になっていた『Flowery』と合わせて、そんなに思い入れ無く、『Everybody’s Gone to The Rapture』を購入したら、これが思いの外、刺さる内容で、いたく気に入ってしまった。それで、同じ開発会社の作品であり、ウォーキングシミュレータの走りとも言われる『Dear Esther』にも興味を持った。これにはPS4版もあるようだが、海外のみの配信のようで、日本ではPC版を対象としないといけないみたい。ただ、スチームで配信されているものは日本語対応されておらず、見送りかな…、と思いつつ、「日本語」を追加して検索すると、有志の翻訳MOD的なものが見つかった。これで日本語で遊べるなと、スチームのセールを待った。

もともとそんなに高くないものだが、セールで250円ほど。日本語化をしようとしたところで、うん?となる。どうやら現状、入手出来る翻訳ファイルは、旧バージョンへ対応したもので、記載された手順では、現状の『Landmark edition』には使えなかった。だめなのか…、と、もう少し調べてみると、やはりそうだった。合わせて、少し前まではPlayism版というのが配信されていて、しかし、今はなぜか配信が停止されていることも分かった。

そんな中、というか、読み逃していただけの事だけど、Landmark Editionは字幕用のXMLファイルを直接編集すれば、簡単に日本語対応できることが分かった。ならば、旧版の日本語ファイルの内容をこのXMLファイルに書き込んじゃえば、いけるな、と。で、まずはガチャガチャと英語字幕を日本語に置き換えてみる。ゲームを起動すると、上手く日本語の字幕が表示されたのだけど、2つ不満があった。

一つは、字幕を読み切る前に自動的に消えてしまう事。字幕としてはそれなりに長い文章が、ゲーム中、一画面で表示される。改行なんかの文章成形はないので、読みにくく、また、文章の内容自体も分かりにくい。なもんで、読んでいる途中、最後まで読み切る前に消えてしまう。

この改行問題に関しては、XMLファイル内で改行コードが上手く反映されればうまくいくんじゃないかと考え、エスケープシーケンスとか調べて(\nではダメだったけど…)、いろいろやって、結果、単純にXMLファイルをテキストエディタで開いて、その中で改行すれば、ゲーム画面にも反映され、加えて、ウィンドウ内に表示出来ないほど縦長になった場合も、文章がいい感じに自動スクロールしてくれる事が確認できた。これで一つ目の不満点は解消されそうだ。

二つ目の不満点は、というか、これが本丸なのだけど、日本語の内容が非常に分かりずらい事。『Everybody's…』の場合も、論理的/順序だったセリフや構成ではなく、分かりずらさは持っていた。けれど、それは雰囲気を作るための詩的/抒情的な表現であり、情景が具体的に頭に作れないまでも、(吹替えだからなおさら)雰囲気は非常に強く伝わってきた。今回のゲームの場合、そういう分かりずらさ以前の日本語の問題に思えた。よくある翻訳調の文章というやつに感じられたので、原文はどんな感じになっているんだろうと、興味本位で覗いてみたところ、意味を反対にとっているような明らかな誤訳がいくつか目に入ってきた。

もともとの英文自体が意味を取りずらい難しい文章らしいので、仕方ないのかもしれないけれど、こうなってくると、せっかく置き換えて作った字幕ファイルもゲーム体験に対して、意味を持たなくなる。

だから、だけど

この時点で、ゲーム自体は殆ど進めておらず、字幕の表示確認ぐらいだった。たかが250円、されど250円。折角だから、自分の納得いく字幕でゲームやってみようかと、日本語への置き換えを始めてみた。

いでよ、グーグル翻訳、いでよ、英辞郎、と、辞書引き引きな日本人の典型的なスタイルで、チクチクと置き換え中。前述しているように、なるほど、これは分かりずらい。文意をくみ取ることが上手く出来ないし、そして、本来の英文の雰囲気を残したまま、日本語にするのも骨が折れる。そもそも、この英語が使えない人間がよくもまあ、こんなことをやろうとしたものだ。自らネタバレしていることにもなるし。

でも、ま、旧版の翻訳よりも内容を深くを理解出来てきているし、自分なりに自己満足だけど、上手く日本語に置き換えられた時には、パズルを解いたような快感もあるし、とりあえず、1日数パラグラフのペースで進めている。

個人の楽しみとして、内々に留めておいても、というか、そもそも、そのつもりで始めたのだけど、折角だし、誰かの役に立つかも知れないし、間違いの指摘も貰えるかも知れないし。進めるためのモチベーションというか、外圧というか、逃避というか。まだまだ時間はかかりそうだけど、出来た分を小出しにしていこうかな、と考えている。

最終的には、XMLファイルにまとまっちゃうのだけど、それについては、どうするか判断保留中。とりあえず、英文の全スクリプトは公開されているし、それを翻訳している、っている体で。

はてさて、完走できるのか…。

2019/11/28追記
取り敢えず、完走はした。
まとめページ




         

2011-07-03

インタラクティブ3Dエフェクトライブを観てきた
#SonyGenki

水口哲也さんのツイートを見かけて、買い物のついでに観てこようと思い立つ。

国内初”参加型3Dライブ”開催 インタラクティブ3Dエフェクトライブ

水口さん自身がツイートされていたライブだけではなく、
夕方ぐらいまで、同じスペースで元気ロケッツの3DPVの映像上映もあるとの事。
以前にも六本木で3Dのライブがあって、気にはなりつつも残念ながら行けなかった。
で、今回、期待をして覗いてみた。

3DPVについて

20分構成の映像をループで流していて、時間的に最後のループに何とか間に合う。
会場は200インチの画面、表面光沢有り。
席数、ざっと100人ぐらい入れる程度か。
受付でステレオメガネを借りる。おそらく一番簡易な偏光ガラス方式かな。
お客さんは数人。ちょっと寂しい。

映像は、暗さをそんなに感じることなく、奥行きと飛び出しを感じる。
ん、想定範囲の3D 映像。綺麗であるが、おぉ!!という感じは無かった。

『アバター』を観たときにも感じたことだけど、やはり、映像の枠があると、
十分な立体感が感じられない。奥行き方向には、画面の向こうに空間があると感じられるのだけど、手前に飛び出す場合は、枠で映像が切れてしまい、不自然なぶつ切りになってしまう。

こういう不自然さがあると、没入感が削がれてしまう。
一番前で映像の枠がない状態でみるのが一番よいのかも。

ライブについて

ライブ開始まで少し買い物や食事をして時間をつぶす。
開場時間少し過ぎたぐらいに会場入り。
思っていた以上に人が入っている。最終的には立ち見もいた模様。
受付にて、今回はメガネとケミカルライトを借りる。
このライトを振って何かするらしい。

会場の様子が映像をして画面に映し出されている。
ケミカルライトを動かしてみよう、的なコメントと
ハッシュタグが画面に表示されている。
通常のカメラを使っているようで、少し暗い会場では、
ぼやけた人物像と目立つケミカルライトの映像。
ライトを振ると、映像にエフェクトがかかって表示される。輝度での判断かと思いきや、
会場に入ってきた人自体にもエフェクト掛かっている。他にも気づいた人がハンカチをバタバタしていたが、それにも反応していた、おそらくは映像変化の速度とか、オプティカルフローとか、そういう情報を使っていそう。
少し処理が重いのか、実際の動作と映像のエフェクトにタイムラグがある。

ライブ開始。
宇宙服の人が登場、中身は水口さんか、と思いつつ。
宇宙服の人会場を盛り上げに係る。
映像、会場の様子を映しだし、ケミカルライトの動きにエフェクトがつく。
宇宙服の人、DJブースへ移動。
女性ダンサー登場。映像、元気ロケッツのPVになる。
メイン画面の左右、タイミングを合せて、インタラクティブフェーズの表示。
会場の”動き”に合せてのイフェクト映像だけど、数がそこそこ多いののと、
タイムラグで、自分の動きと映像が一致できない。
途中、ダンサー中央に移動し、持っているライトで画面にエフェクトを表示させつつ、
ダンス。しかし、ここでもタイムラグ。ちょっと残念。エフェクト自体も少し地味か。
あと、ダンサーが中央に寄ることで、画面からの3D視覚情報と現物の視覚情報が重なる。
そうすると、新たな”枠”が出来てしまって、画面からの3D情報が不自然になってしまった。
ステレオ視を使ったライブはまだ少し考える余地がありそう。

途中、空を飛ぶシーンと共に前方から風。これは少し面白い。

常にインタラクティブに何か出来るというわけではなく、
インタラクティブモードへの切り替えがあって、
その切替をサブ画面でアナウンスしているのだけど、
この方法は、悪くはないけども、今は違うの?ってなると多少冷めるように思う。

音も少し割れていたか。総じて、少し残念な感想。

映像ベースのライブであれば、予算的にも差はあるだろうけども、恵比寿ガーデンプレイスでの池田亮司さんのライブの強度、初音ミク2010の存在感、にはちょっと及ばないかな。

3Dの映画やテレビが出ているけども、
単なる映像としてのみ多少残るかなという程度じゃないかと。
特に、ライブや舞台なんかへの適用は、上手くやらないと手間の割に逆効果になるような。

インタラクティブ性についても、今回は実験的な意味合いが多いのだろうけど、
インタラクティブに観客がどうライブに参加するのか、
単に映像に投影されるだけでなく、そういう所の詰めが今後必要なのかな。
あと、タイムラグはどうにかしないと、
ゲームでもレスポンスが悪いと、イライラしちゃうし。
それに一体感がなくなってしまう。

新しい映像技術を使うなら、ライブプロジェクションの方が、ライブや、そういう系統への導入は進むように思う。

お客はわがままだから、こんな感想を
担当者の苦労なんて知ったこっちゃない、って書いちゃうわけだけど。

でも、こういうチャレンジングな企画をどんどんやって、
良いところは伸ばしていって、改善すべきは直していく。
これぐらいの規模であれば、色々と試せるだろうし、
今後もこういう企画は期待。

今回も駄文をば、失礼。



     

2011-04-09

X06HT系 desire のメーカー修理時の代替機について:
確認できた都内ソフトバンクショップ

X06HT2 desireのカメラが故障した模様。カメラの起動をかけても画面が暗いまま、QRコードアプリもカメラの起動に失敗し、ハードチェックアプリも強制終了。

そして、カメラの起動を一度かけてしまうと、アンドロイドの再起動をかけないと、バッテリーの減りが通常よりも異常な速度で(2時間でぐらいで)アウトになる。おそらく、カメラを探しにいってループ処理か何かでずっと裏で動いているプログラムがあるんじゃ無いだろうか。

この症状が出る前から少しおかしな症状が出ていた。特定の操作をしたという訳ではないのに、不意にフラッシュが光ることが度々あった。一日に2,3度はあったように思う。それが何か影響していたのかは不明だけど、そのフラッシュの症状が出だしてから、1ヶ月か2ヶ月が経ってのカメラの故障。

で、修理にだそうと思ったわけですが、そこからが少し大変。
修理自体は特に問題がないのだけど、修理に出している期間の代替機が問題。

・X06HTはSIMカードが通常の携帯電話と同じ形式であり、この機種以降に発売されたスマートフォンには対応していない。

・代替機として使えるのは、通常の携帯電話になる。

・(最終的に確認していないけど)スマートフォンで携帯SIMカードが対応しているものはウィンドウズモバイル機になってしまう。

ということで、代替機として、スマートフォンで、アンドロイド機となると、同じX06HT2かX06HTを代替機として置いているお店でないと、修理を出しても、その間の代替機は通常の携帯電話になるわけです。

修理期間が2~3週間と聞いていて、また、地震の影響もあるかも知れない、との事で、1ヶ月は最悪代替機で過ごさないといけないと考えると、通常の携帯では何かと不便だろうなと思って、X06HT系が代替機として置いてある他のお店を教えてもらおうと聞いてみた。

まず、ソフトバンクショップの人は、各店舗での管理で、代替機の在庫状況ネットワークのようなものはない。各お店に確認して下さい、とのこと。

また、サポートダイヤルでは同じく、そのようなネットワークはなく、加えて、このサポートダイヤルでも各お店に確認することは出来ないので、ご自身で確認して下さい、とのこと。サポートダイヤルにはあまり期待していなかったので、想定通りの回答。

で、最初に修理に持ち込んだお店の人から紹介してもらった表参道店、渋谷店、八重洲中央口店に確認するも、代替機の準備はないとのこと。

では、と、近場のお店から電話をしていく。

代替機の確認作業を始めた時は、こちらの説明が洗練出来ていないくて、
無駄足になったことは2度ほどあった。

一つは、SIMカードの対応のこと。
電話で機種と故障の説明をしただけだったので、電話口でリブロが代替機として準備出来ますとのこと。若干の不安の感じたけどもしっかりと事前調査せずにお店に行って、色々と事務処理を終えて、代替機の調整をしている段階で、SIMカード未対応発覚。お店の人の時間が一瞬止まっていた。

もう一つは、desireという名前。
当初、電話口では「desire」と機種名を言っていて、ありますよ~、っていうので、行ってみたら、「HDでした…」というオチ。こちらもお店の人の時間がしばし止まる。

という経験を経て、電話での説明も洗練されていく。

後、「無い」という回答のお店でも、そもそも代替機としてこの機種がないのか、それとも、代替機としてあるけども、今外に出ていて、現状無いのか、以下、確認をとったお店を載せていますが、この二つがゴチャゴチャしていて、無いとしているお店も実は外に出ているだけ、という所もあるやも知れません。その点はご了承を。

色々と苦労したので、前置きが長くなりましたが、
取りあえず、以下、確認をとったお店です。

2011年3月上旬の状況ですので、在庫状況替わっているかも知れません。
重ねてご了承を。

代替機としてキープしているお店

ヨドバシAKIBA
池袋サンシャインシティ
池袋西口
池袋東口
大塚

ありますよ~、との回答だったけど、外に出ていて持ち込まず。
ひょっとすると「HD」かも知れないけど、ちょっと期待したいお店。

浅草

以下、無駄足になったお店も含めて、
代替機の準備がないお店

江戸川区、江東区、墨田区、葛飾区
青戸
押上
金町
亀有
亀戸
錦糸町
京成立石
小岩
新小岩

足立区、北区、荒川区、台東区、文京区
上野
上野広小路
上野浅草通り
田原町

豊島区、板橋区
池袋北口

千代田区、中央区、港区
石丸アキバ
石丸電気本店
市ヶ谷
日本橋
八重洲中央口
六本木

渋谷区、新宿区
表参道
渋谷
新宿
新宿センタービル
新宿西口
新宿東口中央通り
新宿南口

電話口のお店の人の話だと、この機種は故障が少ないらしく(もともと出ている数も少ないらしいですが…)。最終的に修理をお願いしたお店でも、「始めてです」とのこと。OSのアップデートもされていない状態でした。

でも、X06HTが発売されて大分経つので、故障してしまった方もいらっしゃると思います。
また、修理の期間中、通常の携帯に戻ってストレスフルな方もツイッターで見かけました。
そんな方の参考になれば、幸いです。



        

        

2011-03-11

イデビアン・クルー:アレルギーを観て思ったことなど
@新国立劇場 3/10

以前、NHKで見かけた『排気口』で興味を持ち、最近では新ヘパリーゼのCMで、おっ、と思った井手茂太率いるイデビアン・クルーの新作『アレルギー』を観てきました。

井手茂太の振付と動き
一見すると普通の小太りなおっさんに見えてしまう井手茂太さんですが、上記のCMでも分かるように、動きにめちゃめちゃキレがあります。そして、その動きの感覚からくる振付も、一見で井出振付と分かることが多いように思います。見ていてて気持ちのいい個性を持たれたダンサーです。

コンテンポラリーダンスで良く名前を聞く方でも、観ている側とすると、やはり、好みの動きがあって、観ていて気持ちの良い方、ちょっと違うかな、と感じる方、と分かれます。井出さんは、振付、動きのキレ共に、好みの部類に入ります。それと、後述する音楽の感覚も他とちょっと違って、イイ感じです。

今回の公演を見ながら、この人の個性はどこから来るのかな、と考えみたのですが、次の四つかな、と思いました。

・ムチの様にしなる四肢
・頭ののけぞり
・体幹の安定性と存在感
・クイックのかかった細かな動き

一つ目の四肢の動きが一番目につきやすい特徴なのですが、脱力した柔らかく、しかし、指先まで神経の行き届いたような動き。剛体ではなく、柔軟なヒモやムチのようなしなりを感じる動き。ゆらゆらとした四肢の動きと、それに加えて、スウェーバックのような上半身や頭ののけぞり。しっかりとした体幹を軸に、そこから伸びた腕、脚、首が柔軟に動く。特に、井出さんの場合は、体型的にも体幹の存在感が大きいので、特に、四肢や頭部の動きが強調されているのかも知れません。他の女性ダンサーと比べると、体型効果は大きいように感じました。また、そんな柔軟で柔らかい印象を持つ動きに、細かなクイックの効いた動きが要所で入ってきます。しなやかなだけでない、スピード感がこれで生まれるように思います。

音楽
動き自体も素晴らしいのですが、演出として選択されている音楽もまた、個性を感じます。『排気口』をTVで観た時、フックになったのが音楽でした。今までに聞いたことのある部類から少し離れるような感じ。メロディというよりも、リズムを中心に、しかし、聴き慣れた組合せの音ではなく、どこか違和感を感じる組合せ。その違和感は、不和ではなく、新しい発見のような心地良さ。似ている他の音楽が上手く出てこないのですが、映画『アキラ』の音楽がそれに近いかも知れません。

音楽としてのクレジットがなく、音響の島武さんという方が担当されているのかも知れませんが、この音楽はかなり好みです。今、『排気口』を後ろで流しながら、これを書いているのですが、スティーブ・ライヒのようにも聞こえますね。メロディではなく、リズムに重きをおいた音楽がほとんどなので、音楽を聞いているだけでも上がってきます。加えて、単に聴き慣れた音ではないので、新鮮さもあり、サントラがほしいです。

音楽にリップシンクロした動きも多数あって、そのシンクロ感が気持ちいいのですが、やっぱり音楽先行での振付なのか、それにしては、音楽が個性的なので、同時に創っているのか、どういう流れの制作になっているのか、興味が湧きます。

日本的な何か
音楽や動きは現代的なのですが、要所々々に日本的なものが出てきます。今回の舞台美術は、畳に太い竹が周囲に数本とシンプルなものなのですが、会場に入ってすぐ、眼に入るこの美術は誰でもが日本的な何かを感じるはずです。他、和装の女性(要注目!)、終盤のボンボリ、サクラなど。日本的なものに対しての意識が作品創りに多少ならず入っているのかな、と感じます。そういう視点で振付をみると、日本舞踊や盆踊り、阿波踊りのような四肢の動きに見えなくもないです。日本舞踊に関してはTVか何かで、そのようなコメントを聞いたような記憶があります。違ったかな。

たまに場末的な雰囲気も
演歌風味な歌謡曲といいましょうか、場末なカラオケスナックな空気、ちょい古めの昼ドラ、そんなキーワードが浮かぶ場面が幾つかありました。あえてはずす、こういう演出は他にもたまに見かけますが、ちょうどいい感じのバランスとセンスで、ダサかっこ良いです。

意味性と抽象と
ダンスと演劇の関係は、抽象画と具象画の関係だと考えています。ダンス作品を作るためには何がしかのモチーフがあるでしょうし、今回の『アレルギー』に対しても、そのタイトルが発想の元になっているはずです。観ている側とすると、個々の振付やシーンの中に何がしかの意味を探してしまいます。数分の短い作品なら、そういう事があまり考えない事も多いのですが、長い作品になってくると、全体を通しての意味生をどうしても考えてしまいます。あのシーンの意味は、この動作の意味は、という感じで。今回も、全体を鑑賞終わって、振り返ると、アレルギー:拒絶反応、ということで、拒絶を感じる動きやシーンが多く見られました。中にはユーモラスなものあったり、日常的なさりげない動きであったり。ただ、そういった分かりやすいものだけなく、抽象度が高く、うん…?となるシーンも。そういうシーンに対して、無い頭でうんうんと考えるのも一つの楽しみではありますが。

冒頭とシーンの切り替えで毎回登場する3人組のマスクの意味は?、登場人物の人間関係は?、で、結局誰と誰が関係を持っているのか?、拒絶と受容、人間ですから時間と共に変化する感情。そういうものもあったように感じました。今回の作品、人間関係を追って図示してから見ると、また違った見え方出来るかも知れません。

総じての感想
少し中盤ダレる感じのシーンがあったり、終盤のフェードアウト的なシメには、もったいない印象を持ちましたが、振付やダンサーの動きのキレ、音楽、個々の演出と総じて、カッコイイですし、所々くすりとなる楽しい場面もあります。少しですが、井出さんのソロっぽいシーンもあります。まさに、動きの切れる小太りですw。初めての生イデビアンでしたが、個性的な作品に満足しました。当日券もあるっぽかったので、興味のある方は是非。

また、だらだらと駄文をば失礼。


追記:2011年3月12日

2011年3月11日の地震の影響で11日と12日の公演が中止になったもよう。
払い戻しもあるようなので、対象者はおっての続報を確認して下さい。

【重要なお知らせ】本日の公演の中止について|ニュース|新国立劇場

【重要なお知らせ】本日12日(土)の公演の中止について|ニュース|新国立劇場